毎日死にたいと思っていた昔
思えば、人生において死にたいと思わなかった期間よりも死にたいと思っていた期間の方が多い気がする。
特に感受性豊かな中高生の頃はほぼ毎日のように死にたいと願い、「死にたい」で検索をかけては自分と同じことを思っている人が1人でもいることを確認して、安心していた。
自分だけじゃない。辛いのは、死にたいと考えているのは、私だけじゃないんだと。
精神状態は日によってだいぶ変わり、
自分なんてぐちゃぐちゃになって早く失せればいいのに
と思った翌日には
この美しい世界をもっと見ていたい
なんてポエミーなことを思ったりした。
特に受験生の8月から10月にかけては最悪で、周りのみんなが進んでいく中どうして自分だけはこんなに何も出来ないままなのだろうか
と絶望していた。
大学なんてどうでも良くて、もうこのまま死んじゃおっかなあ
とか考えてた。
楽な死に方を探して、ネット上のありとあらゆる情報をかき集めた。
練炭は楽って聞くけど実際は超絶苦しいらしいよ
オーバードーズしてもどうせ死ねない、胃洗浄が激激つらい
ゆりの花を密室に敷きつめて、そこで寝れば死ねるらしい
とかいう書き込みを見ながら自分がいつか死ぬ姿を思い描いていた。
どこかで、
うつ伏せの状態で首に縄をかけてうまく脈を止めることが出来れば眠るようにすっと死ねる
というガセなのか本当なのか分からない情報を見て、ベルトで首を括ったところまではやった。
しばらくするとなんとなく苦しくなって、意識が朦朧としてきて、耳鳴りも始まった。
このままいけば私、死ねるなあ
ってうっすらと頭の片隅で思ったけど、それよりも未知への恐怖が勝ってしまい、縄を緩めた。
結果、楽に死ねる方法なんてひとつもなく、死ぬにあたって苦しみは逃れられないものだということしか分からなかった。
その後も小さなことで悶々と悩んだ。
この世に私の居場所なんて無いんだと悲観に暮れては、思い出したように手首を切って痛みを再確認した。
滲んだ赤い血を見ながら、自分の中に血が流れているという当たり前の事実を不思議に思った。
一回す切ったあとは、やっぱり痛くてもう一度は痛めつけられなかった。
勢いづけてざくっと行ってしまえばよかったんだろうけど、怖くなって。
ちょっと切ってはその傷を上からもう一度なぞるように切っていた。
血がどばっと出ることは無かったし、こんなものリスカっていえるのかも分かんねえなと、頭は変に冷静だった。
結局何度か切ると、痛みに嫌気がさして、絆創膏を貼って蓋をしていた。
そんな事は今はもうないけれど、
それでもたまに今でも死にたいとは思う。
いつかこの負の感情から逃れられる日は来るのだろうか。