日記

女子大生が暇つぶしにはじめるブログ

5月24日 サンリオピューロランド入国

友達と会って、また少し生きてみようかとおもった。わたしはこうやって寿命を少しづつ伸ばし伸ばし生きているなあとおもった。

 

小学校のころからの友人と久しぶりに会って、サンリオピューロランドに行った。ドレスコードは地雷女子。普段よりも赤い目元と、フリルの付いたブラウスで向かった。歌舞伎町にいそうなかんじ。

ところで、今日は朝から凄く悲しくて未来に絶望して、生きる意味を全く見いだせなかった。とにかく存在していることが嫌で、どうやったら楽に死ねるかをずっと検索していた。首吊りが1番メジャーらしいけれど、楽だという記事もあればめちゃくちゃ辛いという記事もあって、何を信じればいいか分からなかった。富士の樹海に迷い込んで出られなくなれば、嫌でも死ねるかと思ったが、どうやら樹海は思ったよりも狭く、磁場でコンパスが狂うというのもデマらしい。大自然の中で眠るようにいけたら楽だろうな、とかいう甘い考えは通用しないらしい。そんな気分で電車に揺られながらマカロニえんぴつを聴いていたらなんでか涙が出てきて、こんな気分で友達とは会えないと思い、曲をヤバイTシャツ屋さんに変更した。

失恋ソングを聞くと、元恋人のことを考えて、腹が立つと同時にさらに涙が出てくるから、そっち系の曲は意図して聴かないようにしている。その点ヤバイTシャツ屋さんはちょうど良くて、何も考えずに曲をだだ流しにできるから楽だ。私の名誉のために言っておくと、別に彼と別れて寂しいから、よりを戻したくて涙が出るんじゃない。彼の1番になれなかった自分が不甲斐なくて悲しいからだ。

 

そんなこんなで京王多摩センターにつき、ファンシーなキャラクターたちに出迎えてもらって、ピューロランドに入国した。なんか、森。中もファンシー、メルヘンランド。ディズニーに比べればちゃちいけど、世界観の作り込みが上手くて、ハマる女子がいるのもわかる気がした。一言でいえば「女児向けテーマパーク」。でもあそこの住民は女児でなくても歓迎してくれるから、みんな1度は行ってみてほしい。乗り物系は少ないものの、フォトスポットは多く、またショーも充実していた。キャラクターとのグリーティングもあり、可愛さを間近で見ることができる。それから、青いカレーがある。ルーが青く、インスタで映えるのだろうと思う。味は普通らしいけど、見た目がやばいからあまり食欲が湧かないと食べた友人が言っていた。目をつぶって食べるしかない。きっと美味しい。

 

帰り道、一緒にモンスターのピンクを買って飲み、煙草を吸った。歌舞伎町によくいる女の子になった気がした。私たちは小学校からの付き合いで、お互いの家を行き来するほどの仲で、2人とも引越しした今でも会うほど仲は良い。しかしどんな価値観を持っていて、家庭の細部まで話し合うことは今までなかったなあと思った。彼女の両親の離婚の話をきっかけに、私の父親のモラハラ紛いのことを思いきって打ち明けた。彼女は自分の父親もお酒を飲むと人格が変わってしまうから、と言って共感してくれた。面識のあるあの人がそんなことをするとは思えなかったが、私の父親も周りから見ればそんな感じなのだろう。人は見かけによらない。今まで話したことの無いような話をした。

彼氏に振られた

今週のお題「やる気が出ない」

 

どうもこんにちは。最近気分がどん底すぎてほんとに何もやる気が出ない私です。

 

1週間前に彼氏が音信不通になりました。というか浮気してたのでそれを電話で問い詰めたら、LINEブロックされました。この辺の詳細は思い出すと辛くなるので省きます。あの野郎、人には浮気しちゃやだ!!とか言っときながら自分は涼しい顔して三股かけてましたね。もう男なんて信用しない。

 

 

 

ところで、なんにもやる気がでない。やりたいことと言えば世界一周とかモンブラン食いたいとか東京卍リベンジャーズ読みたいとかそーゆー得にもならない願望ばかりだ。この願望だって別に特段やりたい訳じゃない。実際時間が出来ても私はただただダラダラしてるだけで何もしてない。一日中部屋に居てるだけだ。そろそろ働かなきゃなあとは常日頃から思ってはいるけど、応募する気力がなくていつもバイトルのアプリを開く前に立ち止まる。この前は必死の思いでカラオケに応募したが、折り返し連絡しますと言われたのに連絡がなくて、心が折れた。パキッと折れた。

 

友達に、現役時代大学受験に失敗し、浪人し、一浪してる時鬱になり、現在ニートをしているとってもチャーミングな子がいるのだが、その子は毎日こんな気分なのだろうか。まあでも彼女はポジティブだから、ここまで鬱屈とした気分を抱えることはないのだろうか。とか今では音信不通になってしまった彼女にも思いを馳せる。元気だろうか。今日、星野源新垣結衣が結婚したというビッグニュースをシェアしようと思ってLINEを送ったけど、やっぱり既読にならなかった。元気でいて欲しい。携帯無くしちゃったりしたのかな。

 

 

 

ところで、今日は一日中家から出ずに過ごした。なんなら昨日も出ていない。せめて外の空気を吸おうと思って散歩にでも行こうと思い立ったが、雨が降っていたのでやめた。私が家にいようが外にいようが、関係なく時間というのは平等に降ってくるわけで。ベッドの上で延々とスマホを触っていれば時間も経つし、お腹もすく。結局今日は何もしなかった。暇でしょうがなかったから漫画でも読もうと思って、少女漫画の金字塔の「NANA」を読み始めた。今12巻まで読んだ。途中で悶絶したり涙を流しながら、読んだ。2人のNANAが可愛い。恋が切ない。私もこんな泥臭い恋したいなあと思いながら、別れた元恋人のことをほんの少しだけ思い出したりして、また泣いた。その後よく考えたらこの世に男は35億いることに気がついて、気分がマシになった。

全て憂鬱な朝

今回は特に目的もなく、ただ感情を吐き出すだけの日記

 

 

もう嫌だ。生きていたくない。なんでこんなに辛いのか分からない。この前お酒でやらかしてからずっとそう。恋愛なんて恋人が出来れば、あとは簡単でなんの悩みもないと思ってた。でもそんなことはなくて、片思いしてた時とは違うくそみたいな苦しみがあった。私は今まで報われなかった恋しかしてこなかったので、この感情が分からず、今絶賛病み期に入ってしまった。彼の愛情を疑って、返信が遅いと言っては病んで、自分に楽しみがないからたのしそうな彼に嫉妬する。鏡を見ては自分の醜さに絶望し、彼の周りにいるほかの可愛い女の子に気が移らないか心配する。もうやだあああ。、何もしたくない。自分なんて生きてる価値無いし、結局何も生み出せないままなんだよ。自分さえ好きになれないようなやつなんか、誰も好きにならないし、なれないだろ。きっともうすぐ飽きられるしそうなる予感もあるけど、そんな未来は痛すぎるから見えないふりをする。もーつらすぎる。いつも愛されたい愛されたいって泣くくせに自分はその見返り分の愛を誰にも与えず、可哀想な自分に酔っては現実逃避を繰り返し、さらに悲観的になる。負のサイクルにももう飽きた。恋愛で悩んでるのは本当につらいししんどいけど、乗り越えれば幸せだよとか聞いたことがある。でも人生における悩みの大部分がそれとか本当に腐ってる。暇すぎて恋愛にしか悩むことがないんだよな。

 

風邪ひいたから喉は痛いし、鼻水出すぎるし。咳しまくって痰は出ないくせに、喉だけ擦り切れてさらに咳でるし、鼻かみすぎて小鼻痛いし。もうろくな事ないよ。

 

昨日の帰り道、丸ノ内線の中で援助交際を聴きながら泣いた。自分の価値とこの身体と終わったあとの虚しさを考えると、そばにいない恋人の存在が浮き彫りになった。こうでもしないと生きてる理由が分からないなんて言う割に、これが原因で病む。自分は汚れてしまったなんて悲観して泣いてみたりするときもあれば、このお金でなんでも出来る無敵な気分になったりもする。きっと、やったら精神がジェットコースターになっちゃっ う。

 

もうやだ。何もしたくない。そう思って今日1日何もしなかった。本当に何もしなかった。余計に価値がわからなくなった。生きてていいのかな?、なんて誰かに問えば優しい誰かは生きてていいんだよと答えてくれるだろうけど、本当に聞きたいのはもう生きていなくていいんだよって答え。何も出来ないし、何もなし得なかった。20年ちょっと生きてきたけど結局、なにも。ただ呼吸してただけだし、本当になんのために存在してるの?自分。

死にそうになりながら生きてる

今週のお題「下書き供養」

 

昔書いてた、鬱々とした途中までの文章が見つかったので掲げます。

 

 

毎日ちょっとしたことで、生きてることに嫌気が差してる。

それは、例えば空が青いことだったり、疲れている時に限って電車で座れないことだったり、外に出たら暑いことだったり。

それだけなのに、動かしようのない事実が私を押さえつけるから、「あーもうやだ」となってしまう。

 

元々、生きることに対してはそんなに執着心があった方ではないと思う。幼少の頃から、次の瞬間死ぬかもしれないと思いながら生活してきた。それでも人並みに景色に感動したり、本を読んで泣いたりと感情を育てて、死にたいとまでは思わなくなった。人が考えていることをなんとなく模倣し、常識的な思考を身につけるところまでは来たと思う。というか、平たくいえば平凡な人間が育った。全て人並みかそれ以下で、人並み以上に優れているものはぱっと浮かばない。そんな地球上のどこにでも居そうな、典型的にちょっと足りない人間になった。

 

こうしたいああしたいという欲望はあるし、自分がここにいることも分かる。だが、自分がどう言った存在で、彼らにとって如何なる意味を持つのかは全く分からず、自らの存在の確信は得られない。感覚的に表せば、自分自身はなにかふにゃふにゃしたところてんのようなものであるだろう。

 

存在の証明が欲しい、と思うまでに時間はかからなかった。誰かに愛されてないと自分という存在を認識できずに、いつだって生きてはいるものの、ここにいないような感覚に苛まれている。そんなのは死んでるのと変わらない。毎日目が覚める度にああまた生きているのかと絶望する日々を過ごしている。

 

前述の通り、存在の証明が欲しくて欲しくてたまらない。誰かにとっての「絶対」「特別」になりたい。そうすれば、自分は生きていていいんだと思えるだろう。誰かにとっての「自分」というものが、私の生きる理由になる気がする。それが恋愛という形で現れるのがいちばん普通だと思うから、私は恋人が欲しいし、恋人に愛されていないと不安になってしまう。

 

このような書き方をすれば、俗に言うメンヘラのように思われてめんどくせー女だなとなるのもよく分かる。私だってこんなこと言ってくる人は願い下げだ。でも、自分だって外に出さないけれど、愛というものに対して信頼を置いていないから、常にその存在を確かめていないと不安になってしまう。その不安も他人からは見えていないから、自立した精神も安定している大人に見られてしまうことが多いけれど、実際にはそんなことなんてなく、心は不安定に揺れている。1ヶ月のうち本当に自己肯定感が上がって、「生きてるって素晴らしい!!」と心から思えるのは多分、1週間もないくらい。そんな絶望的な人間のことさえ、社会は歯車に乗せて勝手に回ってしまう。取り残されたように感じることはあっても、社会の何らかの組織(家族、友人、学校、職場)に属している限り、生活は続くのだ。

 

 

このお題難しいな

お題「#新生活が捗る逸品」

 

新生活が捗る逸品、なかなか難しいテーマだなあと思いながら、ダラダラと書いていこうと思う。そもそも私あと2年は新生活とは無縁だしね、という詭弁も思い浮かんだが、ここは少しまともなことを書いてみようじゃあないか。

まあ普通に考えれば、シャーペンとかボールペン、時計などといった実用的なものをあげた方が無難だろう。新生活が捗るかどうかは知らないが、便利なものに変えて損はしないはずだ。だがまだ使えるものを手放して新しいものを買うという行為に対して、もったいないという気持ちが働いてしまう貧乏性のため、なかなか新調出来ていない。インクが無くなるボールペンはともかく、シャーペンなんて、高一の時から同じものを使い続けているからもうそろそろ5年の付き合いになる。もう大親友といって差し支えないだろう。時計はそもそも付けない(社会人としては終わっている)人間なので、新調する必要が無い。

ちなみにわたしには、愛用しているボールペンがある。uniさんのsignoシリーズだ。この名称が合っているのかは分からないが、とにかく書きやすい。するする書ける。書き心地としてはSARASAも結構好きなのだが、それよりもペン先のカリカリ感が強くて、書いてる感があるから好きなのだ。私がこのボールペンを使い始めるきっかけとなった出来事を思い出すには、遥か5年前まで遡らなければならない。あれはまだかわいいかわいい中学生だった時代のこと。当時好きだった子がこの種類のペンを使っていたのだ。そんな些細なきっかけではあったが、幼い私は好きな人との共通点を少しでも多く作りたくて、このボールペンを使うことにした。

中学卒業と同時にその淡い恋心は自然と消滅したが、ボールペンだけはあの時のものをずっと使い続けている。

 

ありがとう、Mくん。

君のおかげで良いものと巡り会えたよ。

 

 

時は流れて、5年後。私は大学1年生になった。まだコロナもなかった時代、健全な大学生らしく、毎日大学に通っては眠りこけサークルで酒を飲み金欠のためバイトを増やすという、生活を送っていた。そこで、ひょんなところからMくんと再開することになった。もともと地元が近かったので、いつかどこかで会えるかもしれないとは思っていたが、まさか本当に会えるなんて。バイト先に向かうため、いつもの通り家を出たはずが、自転車を飛ばしすぎたせいか早めに着いてしまった。時間もあるし何か買ってからバイトに行こうかと思って、近くのファミリーマートに入った。その時だった。彼がいたのだ。あの時よりも茶色くなった髪、高くなった身長、広くなった肩幅。でも変わらない優しそうな目。

見つけた瞬間、心臓が止まるかと思うくらいびっくりした。あの時から時間は経っていて、パッと見では分からないくらいなのによく分かったなと自分でも思う。とにかく、一瞬で気づいてしまった。

そんな、大学1年生も終わりかけの春。私は、俯きがちに彼のレジに向かい、商品を受け取る時に精一杯のお礼を言って、そのまま店を出た。結局声をかけることはしなかった。お店が忙しそうだったのもあるし、なにより彼のことは思い出にしておきたかったのだ。現在の姿を見れたことは嬉しく、甘酸っぱい気持ちにはなったが、それはあくまで昔のことだ。この気持ちは過去に置いたままでいいと思った。

 

彼は今でもあのコンビニで働いているのかな。また行ったら会えるのかな。

 

毎日が五月病

どうもこんにちは。最近は何もやる気が起きない。勉強はもちろん、ピアノのお稽古や仕事探し、サークルの業務、全てが滞っている。挙句の果てには人間と連絡を取るのすら面倒くさくなった。

 

俗に言う五月病なのかなと考えてみたが、いやいやまだ3月だし、時期的におかしいよねと考え直す。そうなると、ただの怠惰な人というだけだ。

 

思い返せば昔からそうだった。やらなければいけないことを後回しにして、やらなくてもいいことばかりに時間を費やしてきた。それだっていつかなにかの役に立つかもしれない、と神のように優しい人は言うだろう。だが、私のしてきたやらなくてもいいことはせんべいを食べながらYouTubeをみてダラダラすることであったり、延々とツイッターを眺めることであったり、興味のない映画を見ながら寝落ちすることであるので、本当にやらなくてもいいのだ。無意味な時間であるし、こんなことをして時間を消費するくらいなら友達と目的もなしに会って、カフェで4時間くらい喋り倒していた方が50倍は有意義であるのだ。

 

ではなぜこうなったかというと、コロナのせいである。ここ1年、新型コロナウイルスというバイオハザードのせいで、大学生は日常生活を奪われ、非日常が日常生活となった。わたしも、例外ではない。学校は全てオンラインになり、校舎には一切行かない日々が続いた。学校の見取り図なんてもう覚えてもない。ちなみにオンライン授業とは言うが、実際はパソコンの前で寝るかツイッターをするか落書きをしているかのどれかなので、授業をうけてすらない。バイトも辞めた。友達もいない。つまり、やることが無い。本当にない。外がよく晴れた平日、周りの人々が社会に向かっていくのをみて、自分は引きこもって何をしているのだろうかと虚しい気持ちになった。特に趣味と呼べるものもないので、そういうときは買い溜めてあるお菓子を片っ端から食べるだけである。そして、太る。負の連鎖でしかない。

この前、友達とはぎりぎり呼べないような知り合いと、遊びに行く機会があった。付き合いで行ったのがそれなりに楽しくて、社交性皆無の自分でも楽しめるような良い人たちだった。何気ない会話の流れだった。彼らに「普段何してるの?」と聞かれた時に、何もしていることがなくて、愕然とした。家にずっといます。家で何してるの?何もしていません。という恐ろしい会話の流れが見えてしまったので、「友達とカラオケ行ったりしてる」という無難な答えでその場をしのいだのだが、自分というのはつくづく何も無い人間なんだなと実感することになった。

本当に産業廃棄物みたいじゃないかとかなり絶望した。もうちょっと有意義なことをした方がいいのではないかとは思ったりもする。というか、毎日思う。しかしまず動き出すのが面倒くさい。現状打破はしなくてはいけないのだが、やる気が起きない。バイトを探すにしても応募して履歴書を書いて、という工程を思うだけで気が滅入る。かといって片道1時間かけて大学に行くのも、もう面倒くさい。参考書開くのもめんどくさい。友達の返信も何返そうと思案する気力もない。YouTubeを見ようにも5分の動画に耐えられる集中力すらない。何もやりたくない。でも何もやらないのも暇すぎて、飽きる。

 

 

 

現実まじ無理。

ピザって10回言って

今週のお題「ピザ」

 

お題とはなんにも関係ないが、ピザについて思ったことを書こうと思う。思えば、幼少の頃はピザの美味しさが分からなかった。サイゼリヤというイタリア料理店に行っては、ピザを頼む友達を横目に、いかすみのスパゲティばかり頼んでいた。1切れ貰って食べたことくらいはあったのかもしれないが、別にそんなに美味しいとは思わなかった。

私がピザを初めて美味しいと思ったのは、母親が焼いてくれたピザを食べた時だ。下手くそな料理しか作れない母だったが、その時は何を思ったのかピザを焼いてくれ、それが美味しかったのだ。今考えればそれは、スーパーで売っているピザ生地の上に適当な野菜と肉とチーズをトッピングしてくれただけだったのかもしれない。でもそれは、サイゼリヤのピザよりは美味しかった。親の愛情なんていう綺麗事で片付けるのはなんとなく性にあわないけど、その時ばかりは納得した。

ちなみにサイゼリヤのピザが嫌いな訳では無い。ただ、あそこのピザは薄すぎる。もっと分厚くてふわふわしている方が好きだ。好みの問題。

 

それから、ピザって10回言ってという遊びがある。そして肘を指差すという、例のやつだ。あんなのに引っかかるなんて馬鹿じゃないのかとも思うが、実際やられたら引っかかるんだろうなとも思う。やられたことがないから分からない。そんなに古典的な遊びはやらなかった。

 

その代わりと言っては何だが、中3の頃に早口言葉が異常に流行った時期がある。「ブスバスガイド、バスガス爆発」「パパバナナママバナナ子バナナ」「新春シャンソンショー」「魔術師手術中」、滑舌の悪い私にとっては割と地獄だった。噛んで噛んで噛みまくる。自分では言えてるつもりなのに、録音したのを聞いてみたら全然呂律が回っていなくて絶望した。普段から滑舌が悪く尚且つよく分からない喋り方をしているため、人に聞き返されることが多いのに、早口言葉なんてやるもんじゃないなと思った。更に聞き返されてしまうどころか、何を言ってるのかすら理解してもらえなくなってしまう。

 

滑舌が悪すぎてそもそもピザって10回も言えないよ。やってみないけどなんとなくわかる。アナウンサーのお姉さんみたいにもっとハキハキ喋れるようになりたい。あと、鈴がなるような可愛らしい声になりたいな。そう思ってるけど、裏声使って喋るのは疲れるし、意識して口を大きく動かして喋るのはなかなか難しい。誰か声質改善トレーニングの方法を知っていたら、教えてください。